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カテゴリ:私の経歴( 28 )


花嫁モデル時代

若いとき (20歳)縁あって声がかかり花嫁さん(角隠し)のモデルをしていました。
条件は首が長くて、なで肩であるそうです。
角隠しばかりでしたので、自分の本番の式には、その時代には、ウエディングドレスを着用しました。それも無料です。
会社の給料より一回のモデルを受けて頂く金額が(今で言うギャラ)いいのです。
でも、いつまでも若くないのでモデルには転向したくなかったので、会社には事情を正直に申し出てお休みをくださいました。会社は「正直にお話してくれたから良いよ」と言ってくださいました。感謝でしたょ~。
お蔭様でとても楽しい思い出深い20代を過ごす事が出来ました。(3年間でした)
今にして思えばその時から、化粧品の使い分けを教わっていたのを現在に繋がっていると思います。
 本日は、(23日土曜日)珍しく昼間の予約が二つキャンセルになったので、こんな履歴を投稿してみました。

by cymos | 2006-09-24 10:51 | 私の経歴

私が就きたくない職業

お仕事は何でも良いのですが、二つだけ就きたくないのがあります。

一つは、清掃業のなかのガラス拭きと床に付着しているガムを取る仕事です。

二つめは、高級店の仲居さんです。自分が食べたいお料理をお客様のところまで重たい思いをして運ぶ仕事です。

どちらも体力的にも長続きしないでしょうねぇ。

by cymos | 2006-09-18 22:10 | 私の経歴

私の経験歴 5 遊離の反対

東京にいる時、養父が亡くなりました。5年経過した頃不思議な体験をしました。それは、北海道のA市で私が働いていて(わたしのスタイル服装もA市で働いていた時と同じで)
仕事で郵便局に向かって歩いていた時、市バスから父が降りた来て、私の横に当たり前に並んで歩き、ただ、無言です。だが、うつむきながら「悪かったと」言うのが解ります。局に一緒に入ってから横にはいません、
もう、消えたのかなと思いながら私がカウンターで郵便物の用事を
済ませて中ドアを開けるとロビーには、他の人と並んでソファーに座っています。距離を置いたまま無言の(声が出ていない、他の人には聞こえていない)中で対話をしました。
私を見ながら、「悪かったと反省している」(お互いに顔を見ながら)他の人には見えてるのか見えてないのかは、今でも解りませんが、
対話は声が出ていないので私と父の間に人は座っていました。
私が「もう良いよ、何とも思っていないから、もういいよ、安心して成仏して、
本当にもういいからもう、許しているよ、今まで成仏できなくて、謝りに戻されたのだね、だからこれでもういいよ。」と言いました。
父は黙って頷き、そこで私は局から外に出ました。本当にもう良いよ、現世まで成仏できずに
戻されたのだから、、、心底もういいよでした。その体験中私は東京にいました。
それっきりです。どの様にしてあの世に戻されたのか今でも興味があります。それと永いこと成仏できない間何処に、どうしていたのかそれも知りたい。
長いい歳月、私は自分に言い聞かせていたものが、やっとスッキリしたのです。それから父のお墓にも、心から行きたい気持ちになりました。喜んでいてくれたら嬉しいですが、、。
映画であの世から戻ってきたストーリーがあると、事実です。と言い切ってしまいます。
(続きは次回 6へ)

by cymos | 2006-04-16 16:27 | 私の経歴

私の経験歴 4

歩くのに少し自信が付いてきて、近所に買い物帰りに事務員募集の張り紙を見て、
そのまま荷物を持って面接を受けました。歩けなくなって社会復帰までに1年目でした。
明日から勤務です。浜町に住んでいました隅田川、人形町、黒塀で三味線、長唄が聞こえてきます、粋な土地柄でした。
明治座が目の前で杉良太郎さんが着替えている時、こちらは女子ばかりで皆でお互いに手を振って楽しんでいました。
この会社も良くしてくださいましたが、健康に自信が出来てそろそろ自分の能力発揮できる
処をと考え銀座の貿易会社に試験を受けて入社。
入社2日目に脇リンパが腫れて我慢していましたら手が動かない、、様子を感じた社長の指示で早退その足で病院へ外科手術。次の日は出勤しました。
原因は、電気脱毛器で菌が入って化膿したのです。

歳月が流れても、まだ鍼灸などは通院していました。3年間かかりました。
この会社にいる時にすっかり健康に自信が付きました。
以前歩けなくなる前までお世話になった会社から声がかかり店長でなく、新店舗の経営コンサルタントとして新店舗開設までのスタッフの教育と準備の仕事をしました。
心身ともに落ち着いていた時です。
ただ、それ以来冷房はもう駄目になりました。体が痛いのです。(続きは 次回までNO5へ)

by cymos | 2006-04-14 14:07 | 私の経歴

私の経験歴 3

28歳の時、朝起きたら何となく歩くのが困難、今までで、こんな違和感は初めて。
すぐ、内科に行き検査しても何ともない、drが「疲れでしょう、
ブドウ糖を2~3日続けてごらん」
3日目の朝、眼が覚めても、体が起き上がれない、
何とか起きても起つのがやっと、もう歩けないのです。
内科的ではないので、、、どうしたら良いのかも考えられない、
頭が真っ白になったまま、天井を見詰めたまま、、、、。仕事も行けない、寝たきりのままで、そばにある電話機でダイヤルを回し欠勤届け。責任者だけれど、どうにもならない。
さあ、後の問題何処が悪いのか、どうすれば良いのやら、、、
とりあえず私の面倒を見てくれる人を考えました。
考える猶予も無く突然で、いきなりの事、歩けないのでトイレも這って行く状態なので緊急。
お友達に住み込み状態で来ていただき、私の身の回りのお世話をしてくださいました。
当然仕事は、退職しベルトコンベアーの流れと同じ自分の意思も無く唖然としたまま、
毎日天を眼を点にしたまま、思考力も無く呆然となったままの毎日。
このままの体で、札幌に帰省すれば、母は嘆くだろうにと考えて帰れず、
何をしたらいいの、、、
数ヵ月後お友達が「鍼も良いらしいよ」と言うので、すぐ抱えら鍼灸に行きました。
初日で支えられながらも僅かに数歩じぶんの足で歩けたのです。
それから一年間鍼、灸に通い少しずつ自信を付け、再度就職できました。
原因は冷房病です。冷えは万病の元です。以来冷房はからだが痛くなります。
この時、東洋医学のすばらしさに感動しました。  (続きは 4へ次回まで)

by cymos | 2006-04-05 14:34 | 私の経歴

私の経験歴 2

21歳のとき、遊離経験、、天国へ。
今でも、忘れません貴重な経験。入院中にさまよっていた自分、浅い小川があり(足首位のせせらぎ)その向こうには綺麗なお花畑があり、花の真上では
黄色と白色の蝶ちょが2匹仲良く飛んでいます。花は彩りできれいです、その前で、翁夫婦(二人は頭は真っ白でおばあさんは、後ろで束ねて)お店で売っている翁夫婦とまったく同じです。二人で、「こっちへおいで、こっちへおいで」と、手招きをしている。
私が、川を渡ろうとすると、水嵩になり渡れなくて上手の方に橋を探しに行っても、橋がありません。又、下手に戻ってくると、水嵩が減って歩いて渡れそうになるのですが、繰り返し同じになるのです。翁夫婦は、無言(声が聞こえない)のまま「こっちへおいで、こっちへおいで」と言いながらずぅーと手招きをし続けてている。
私が、「今日は渡れないから、この次にするね」と、手を振りながら言いました、、、そのまま
眼が覚めました、病室です。(入院時の事が覚えていない)
その数年後、丹波哲郎の番組で同じ内容がいろいろと、
発表されていたけれどその通りです。
外国の心臓外科のdrが、出版された本を読みましたら、
入院患者の、まったく同じ経験をした人の話を書かれた内容との事。
只、違うのは必ず、十字架が出てくる所だけです。その本には、地獄を見てきた人は、一人も内容をdrに、教えてくれないそうです。
地獄を経験した人は全員、苦しみ、汗をかき、もがいていたことを記述されていました。
全員天国を見てきた人だけ、経験を教えてくれたのを本にしていました。
地獄を経験した人は、いくら聞いても誰一人もその内容は教えてくれなかった、その後無口になっていたとdrの本に書いて有りました。
聞いた話ですと一度天国を見たとしても、必ず天国にいけるわけでは、無いそうです。
人生のプロセスで最後に導かれるそうです。
私は、生涯二度と味わうことが無い、貴重で素敵な経験を、させて頂いたと今でも思います。
この経験で、どんなことがあっても、絶対強く生きなければと心に誓いました。   (続きは 3へ次回まで)

by cymos | 2006-04-04 19:01 | 私の経歴

私の経験歴 1

普通一般、経歴と言うと、学歴、資格歴を紹介されますが、私は自分の
経験を語ったほうが経歴になると思いまして紹介させていただきます。
19歳のとき今で言う癌の一歩手前で乳腺炎症で大きな手術。
それは半年前から生理が始まる2,3日前からシコリらしき物が感じて、生理が終わると
無くなります、同じことが3ヶ月目から大きくなっていくのが感じられて来てこれはやはり
変だ。と気づき始めました。(若いから生理ってこうなんだぁ)と思っていた。
その時代ラジオでは、アメリカで乳癌と言うのが(死亡)毎日発表されているニュースを耳に
していたころです。病院を7件行きましたが、医大も(地方に住んでいた)いづれの病院も
レントゲンでは何処もなんとも無いの所見です。生理の都度毎月大きくなっていく、そして又
生理が終わると出てくるの繰り返し。(不気味だった)
自分はもう助からないしラジオで聞いているのと症状が似ているのでもう死ぬのだと毎日
落ち込みながら、身りの周りを整理していました。(遺書も書いた)
母は、わたしを見ていられなくてオロオロしていました。
義兄が父のような立場の方で、「新しい病院が出来たし博士号も取っている人だから
行こう」と言われて、「どうせ何処に行っても同じだからもういい、もう病院は疲れたし
このまま死んでもいい」義兄が「どうせ死んでもいいなら最後の一回だけ行って診て
もらってもいいじゃない」と言われてそれもそうだなぁ、そう思ったら一日も早く行こう
とすぐ行きました。他と同じ検査結果
Drは「レントゲンには出ないが触診したら間違いなく何か出来ているので開けましょう」
手術後(私は見ていません)取り出した物は脂肪の塊が2個で大きかった、珍しいので
アルコール漬けで札幌の医大に送りました事。
この病院に行った時生理が始まる前(整理中は嫌で終わってから病院にいっていた)キチンと触診してくれたので解った。そこの先生は個人病院消化器化でした。
原因は、ホルモンのバランス私のは食事の偏りで成長ホルモンです。小さいときから
好き嫌いが激しくて自分でも、これでは病気になっても仕方がなかったと反省しまして
人間は食べ物で生きているんだと認識し何でも薬だと思って食しています。
でも、栄養は日々幼い頃からの基本で19歳から食事に気を使っても継続は力なり
には程遠いものだと今でも実感しております。
 義兄に助けられました。退院して19歳の厄除けと退院祝いと誕生祝を兼ねて盛大にしてくれました。今までの誕生祝の中でこの時のが一番最高のお祝いです。 (続きは2へ次回まで)

by cymos | 2006-03-18 12:26 | 私の経歴

1・21日生まれ私の誕生日

誕生日いくつになっても、いえいえ歳を重ねる事は本当に素敵と思います。
ですから幾つになってもお祝いしていただくのは嬉しいです。
20日夜友人がお祝いして呉れました。ありがとう。

お客様には、年齢不詳ですが、(S35年)本当のことは言わないでわざと多く言います。そうすると、、相手の色々な事が解ってきます。《少しS かも 笑う》
一度多く言って後悔したのは、それで、お客様が来なくなって自分でも驚きました。病み上がりでしたしね、、、。信じられてしまいました。これは、マジにショックでした。
以来、開き直りで数字を多く言い続けています。

不思議ですよ、言われた年齢を想像より多い少ないにかかわらず信じてしまいますからね。

本日は誕生日のお祝いのためにリピーターさんがご予約を他の日に
譲ってくださり誠に有難う御座いました。

今年はお電話での問い合わせの時は気があせらないように対話が出来るように
と願いました。(仕事ではとても大事ですがお顔が見えないと、、、)

by cymos | 2006-01-22 12:54 | 私の経歴